道を開く寺 善福寺のブログ

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ネガティブ思考の扱い方

人は様々な経験を阿頼耶識という魂のハードディスクに記憶されます。

 

楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しいこと、辛いこと、などなど、したこと、思ったこと、感じたことすべてです。

 

潜在意識とも解釈されますが、無意識のうちにしてしまう行為や言動、思考や行動の癖などの顕在意識にも大きな影響を与えます。

 

 

特に、社会生活を営む中で弊害となってしまう癖や思考については、いわゆるネガティブな感情が付きまといます。

 

例えば、恨み、嫉妬、悔しい、いじめ、自己否定、批判、欠乏感、不平不満、などなど挙げればたくさんあります。

 

そのようなネガティブな感情は、本来、仏教では戒律などで戒められることでした。

 

そのように陥らないように心を保つという修養が大事であると考えます。

 

それが故に、そのようなネガティブ感情に対しては否定的な判断となり、

 

捨てよ、持つべきではない、手放しなさい、という対象となりました。

 

 

しかし、密教では、そのようなネガティブ感情を持つことを認めると言うことを提起しています。

 

煩悩、欲望についても認めます。

 

例えば、愛染明王は愛欲の仏様です。愛欲のエネルギーを転換することが覚りへ到達する事だということです。(但し、愛欲の持つエネルギーのことであり、性行為を提唱するものではありません。)

 

 

さて、その欲望やネガティブ感情というものを認めると言うことはどのような意味でしょうか。

 

その存在を認めると言うことは、まず、自分自身がそのような感情を持っていることを否定をせず認めるのです。

 

ネガティブ感情を持つに至った経緯、中には辛い経験を含めて、持っている自分を自己肯定するのです。

 

逆に自己否定をしてしまうと、自己否定的な現象が目の前に広がっていきます。

 

密教では、いろいろな感情を持つことに対して、否定をせず認める行為として、自分を供養するのです。

 

仏様やご先祖様に向かってご供養をする、それを介して自分自身を認めご供養するのです。

 

密教の祈りは、どの仏様、どの神様、どの鬼神さん、どの霊位であっても、お祓いではなく供養するのです。

 

ネガティブ感情は捨てる必要はありません。認めるのです。

 

そして、ご供養を通じてネガティブ感情に陥っている自分自身を愛を注ぎ、浄化、無毒化するのです。

 

歓喜天尊の男天は荒ぶる神です。荒ぶるのも心の現れとするならば、男天は我々デリケートな心の投影かもしれません。

 

その男天を女天の十一面観音さまが抱擁しております。

 

大慈大悲の思いで我々を愛してくださっています。

 

その結果、縁切りや厄除けをはじめ様々な願い事が叶うのです。