家内安全や厄除け、良縁和合、病気平癒、数えたらきりがない程の願い事がある。生きていれば、いろんな不安や心配、大小に関わらず悩み事がある。
そんな不安などのネガティブな思いに対して不動明王さんは力強く守護してくれる。
右手に持つ剣で、脳裏に浮かぶネガティブな思いをかき消してもくれる。
左手にもつ羂索では、ネガティブ路線へどんどん墜ちていってしまうところを、引っ張り上げてくれる。
そして、背中に背負う炎で、我々の煩悩、妄念や妄想などを背負ってくれる。そして智恵の炎として、光明を授けてくれる。
まさに護摩の炎はそれらが出現したパワーそのものであると言える。
そのような不動明王だが、何処に住んでいる、何処に行けば会えるかと言えば、実は既に自分の心の中にいらっしゃる。
不動明王のことを無動ともいう。動かざる者という意味である。
それは、人間の精神的支柱ということである。
つまり、自分の中の不動明王は本来的に自浄作用を持っており、本来的に持つ自分自身の仏たる部分である。
その本来的な自分の心の中の不動明王に我々真言僧はアクセスをし、また祈願者の心の中の不動明王にアクセスする。
それを加持感応といい、祈願者が不動明王のお力をいただけたと感じる祈りである。
特別護摩祈祷を依頼された方からありがたいお言葉を頂戴した。
会社の中での理不尽までの扱いや人間関係に困っており、上司に相談したものの立場的に不利で、問題解決に至らないということだった。
「不動明王の守護の力強く感じられたのは、3日後のこと。月曜日に出社した日のこと。いつものように嫌な思いをしている最中、たまたま通りかかった直属の上司よりも上役の目に留まり、問題の把握と解決に向けて、時間をとってくれるということになりました。
なかなか無いことで、畏れ多くも思ったそうですが、困っていることに耳を傾けてくれないなら辞めてやろうと、思い切って心の内を話しました。
相手は相手の言い分があり正当性を主張します。
かなり興奮していた2人でしたが、わざわざなだめてくれて、問題の整理をしてくれました。
そして、これほどまでになったのは、ほんの少しのボタンの掛け違いで始まったことだと分かったのです。
自分にも悪かったところがあり反省することに。しかし、相手も必要以上の接し方をしていたことを認めてくれて、またお互い謝りあいました。
その仲裁に立ってくれた人が現れたのは本当に奇跡だと思いました。」と。
不動明王様が守ってくれたと実感されたようである。
自分の中の不動明王さんにアクセスした結果、救済者が目に見える形で現れたのは、話を聞いてとても嬉しく思う。
殊に護摩祈祷は、お祓いとしての力が強く、目に見えて好転するとご報告いただく。
不安やネガティブな感情を何とかするために、気持ちのデトックスに、精神安定のためにお薦めである。