久々のブログ投稿です。
9月も月初めの浴油祈祷7日間が終わりました。
今回、聖天さんは敬愛のお姿であることを再認識しました。
敬愛は、密教では敬愛法、敬愛護摩など、恋愛成就や夫婦円満等をご祈願する方法であります。いわば愛情の修法です。
敬愛の祈祷として、これまでも愛染明王の敬愛護摩祈祷の依頼や時には霊符を浄書し祈念もしてまいりました。
しかし、聖天さんそのものが敬愛のお姿であることを再認識しましたのは、秘仏の尊像は、男天と女天が抱擁をしているお姿だからです。そのまんまと言えばそのまんまです。
但し、そのにはいやらしさやエロティックということは無く、観音様の大慈悲そのものであると、とても尊く感じる次第です。
そもそも、敬愛は蓮華部の徳、つまり観音様のお徳なのです。
そして、大慈悲の極みであることは、全てを受け入れる慈しみや愛念のことを示します。
自分のことを好きでなければ、誰も好きになってくれない、という言葉があります。
密教ではそのあたりの話をしています。
自分が自分を好きになる、
受け入れていなかった自分を受け入れる、
細胞レベルでも慈しみの気持ちを向ける、
そのような想念であれば、目の前の現実も変わり始めます。そして、そのような愛念や慈しみの気持ちをもって過ごすことは、周りの人間へも同じ愛念や慈しみを届けることになります。
自分が変わることで、周りの人間関係も、目の前の現実も変わっていくのです。
そのために、私が私を愛し、私が私を慈しむ、ということが密教の敬愛の精神です。
受け入れがたい自分自身、認めたくない自分自身、それらを受け入れたり、認める、許すことが、大慈悲なのです。
そのような自分自身は、荒神である男天。
そんな自分も本来的に愛される存在であると示してくれているのが、女天である十一面観音です。
十一面観音様が我々人間を本来的に愛し、慈悲を向けてくれている、そのお姿なのです。
心の中のトラウマ、知らず知らずのうちに傷ついた心、恐怖、葛藤、疑い、等など、それらを癒すのも観音様であり、自分自身であると聖天さんはお示しくださっています。
自分自身を大切にしましょう。
自分自身へ愛情を向けましょう。
そのような気持ちで聖天さんや観音さんに祈りましょう。
人間関係のトラブル、恋愛のトラブル、様々な災難にしましても、このような敬愛という大慈悲の祈りによって、問題を解決される方を目の当たりにしてきました。
聖天さんは、十一面観音さんが大慈悲のエネルギーをそのままもって我々人間の次元まで下がってきてくれた変化身です。
不安に押しつぶされそうな時、前向きに考えられない時、聖天さんの女天の十一面観音様に抱かれるイメージをして、聖天尊のご真言を心の中でも良いので気が済むまでお唱えしましょう。
おん きりく ぎゃく うん そわか