大日経には如実知自心という教えがあります。
自分の心のあり方を知る事が、サトリへの道である、と。
その覚りを体現したものを菩薩と言いますが、その菩薩は、元は菩提薩埵で、ボーディサットバとサンスクリッット語で読みます。
ボーディは、菩提、つまり覚りそのもの、覚った者、覚りの境地です。
サットバは、有情、つまり生きとし生けるものです。
六道輪廻の世界に生きる我々人間も有情です。
密教が言いたいのは、我々人間が菩提をえることができる、観音様や文殊様、お不動さんや愛染さんのように、一人一人の人間が、菩薩であることに気付く事が覚りであるという事です。
密教では悟りではなく覚りと書きます。
それは目覚めるということや覚醒という意味があります。
では冒頭の如実知自心が覚りや覚醒に至るのかについてです。
その階梯も大日経や十住心論に書かれていますが、現代的にいうと、量子力学という物理学の分野の説明がとても密教的で、説明しやすく感じます。
自分の出している波長と同じことが現実的に目の前に起こるとされます。
それは、心のあり方がそのまま目に見える形になっているといいことです。
逆に、今目の前で起こっている出来事が心のあり方であると言えます。
これがとても大事なことで、良いことも嬉しいことも、または苦しいことも、悲しいことも、自分発信で起こっていると考えます。
ということは、発信の元に原因があるのです。
その原因が如何であるかが大事なのです。
トラブルがある場合の多くが、隠れた感情が水面下にあるために知らず知らずのうちに起こっています。
自分の感情の中で、怖い経験、辛い思い、マイナス思考やネガティブ感情、それらは考えたくない!考えてはダメだ!と否定してしまいがちですが、
否定をすると否定という波長が生まれます。それでは問題解決にはなりません。
その部分に光を当てるのが密教です。
辛い経験、ネガティヴになっても仕方ないよね、と、そんな自分へ愛情を注ぐのです。
そのお姿が歓喜天の夫婦神の抱擁のお姿です。
秘仏となっておりますのでお見せすることはできませんが、その抱擁のお姿はエロティックな解釈に取られることが多いですが、実際はそうではなく、安堵、安心、慈愛、心の底からの喜びの雰囲気に包まれています。
男性神は荒神さんでして、心にひそむ様々な感情を表し、女性神は十一面観音菩薩で、慈悲と母性の愛情の象徴です。
様々な解釈はありますし、それぞれその通りだと思いますが、どのように拝むかはその人次第です。
自分へ慈愛を向けることで、周りへ波及し、現実が好転します。
その慈愛に包まれて不安やネガティヴを和らげてくれるのが、ご真言を唱えるご祈願です。
まさに十一面観音菩薩の大慈悲の抱擁により、心が鎮まり、本来の自分を見出すということですので、大慈悲の波長に自分の波長を合わせることを密教は求めるのです。
浴油、護摩、霊符、先祖供養などなど、様々な方法で波長を調えることができます。
トラブル解決は、自分の不安解消からです。
一緒にやってみませんか?
当山の歓喜山聖天尊は身に従って守護してくださいます。